運動の第1法則は
すべての物体は、加えられた力により運動の状態が変化させられないかぎり、 静止の状態、または一直線上の等速度運動の状態を維持する。
と記され、運動の第1法則は「慣性の法則」ともよばれています。ただ、慣性という用語は物体の運動の変化のしにくさを表す言葉であることを述べましたが、第1法則は物体の運動しにくさを表現したという意味ではなく、外部からの作用が無ければ運動を維持する性質があるという意味で使われています。
ただ、この表現だけを見ると第1法則として物体の運動を統括する表現において最初に宣言されているか理解し難いと考えられるので、ニュートンが力学理論を論じたその著書「プリンキピア※1」において第1法則の理解に重要になると思われる「定義Ⅰ」から「定義Ⅷ」および、その「注」を抜粋して第1法則の意義を検討することにします。
ニュートンは「定義」とその「注」において、運動の法則を提示する前段として運動の体系を論ずる際に用いる用語の説明および時間と空間についての補足をしていて、特に「注」ではニュートンの考える時空について言及していることから、本稿では運動の第1法則を「注」に関連させて解釈することにします。
まず、「注」のⅠでは、私たちが時間とよぶ物理量について絶対的な時間と相対的な時間の説明をしていて、「絶対的な時間は何にも影響されずに一様に流れている時の経過」と説明するのに対して、「相対的な時間は、私たちが「秒」のように各々の都合で設定した一定の間隔に区切った時間」と説明されています。
また、「注」のⅡでは、私たちが空間とよぶ概念について絶対的な空間と相対的な空間の説明をしていて、「絶対的な空間は如何なる外的要因にも影響されない同形、不動な空間の広がり」と記述し、「永遠に変化しない性質を有する」としているのに対して、対になる概念として「相対的な空間は、宇宙空間を運動する、例えば惑星を基準にして空間を把握するような、絶対的な空間内に存在する別の無数に存在する空間を把握する同じ広がりを持った立場」であると述べています。
さらに、「注」のⅣでは、絶対運動と相対運動について述べていて、「絶対運動は、ある物体の絶対的な場所から絶対的な場所への移動」と説明しているのに対して、「相対運動は、ある物体の相対的な場所から相対的な場所への移動」と説明しています。また、このことは完全に不変な時空内で定義された運動と、地球上に設定した座標系のように地上で静止していても地球が動くなら絶対運動としては移動している、といった立場の違いにより差異が生じることを述べて、絶対運動の可能性について触れ、「他の物体の場所や運動の基準となりうるところの、真に静止する物体というものは有り得ないため、哲学的な論議においては、われわれの感覚から抽象し、それらの単なる感覚的な測度とは別な、物それ自身を考えなければならない。」と記述されていて、プリンキピアを読む限り、具体的に例を挙げられてはいないものの絶対運動は存在してほしいし、存在するものとしている印象を受けます。
そして、上記が「定義」に関する「注」、つまり、補足として述べられていることから、宇宙は時間の経過と、その内部の位置に、何物にも影響されない完全に不変である固有の値を持っていて、この立場に対する運動を絶対運動とした上で、運動の第1法則では物体に力が作用しない、絶対空間に対して等速度を維持して運動する立場は絶対運動を観測する立場と等価であり、絶対空間と同等な立場が無数にあることが記述されていると考えることができます。
こうして、「注」との関連で運動の第1法則を考えると、元々、絶対運動を観測できる立場が最も運動を記述するのに都合の良い立場であり、その立場が慣性系と考えられることと、絶対運動の存在は運動の法則を記述する以前に言及されていることから、プリンキピアでは慣性系の存在は「注」の段階で前提とされていると解釈できます。
よって、本稿では運動の第1法則は慣性系の存在を前提として、力の作用を受けない限り慣性系である座標系は慣性系であり続けることを通じて、力学の舞台である宇宙は完全に不変であることを宣言し、宇宙の容器として性質が完全に不変であることを仮定した上で、これから記述する運動を解析するための数学的手段及び力の性質が完全に不変であると断言していると解釈します。
ただし、この解釈は私の個人的なプリンキピアの解釈で、「定義」に関する「注」と第1法則を上記のように解釈して力学法則は永遠に変わらないと宣言した上で、第2法則で運動の数学的記述方法を述べて解析手法を提示して、第3法則で物体間の相互作用の関係を規定したと解釈したほうが話の筋が通ると感じたことから採用した説であることを断っておきます。
また、プリンキピアは原著自体が難解であることが知られており、これを翻訳した書物もやはり難解な表現が多いためか、第1法則の解釈はいくつか存在し、同じ主張をしているかの判断がつかないので列記すると、第1法則はガリレオの慣性の原理の焼き直しであると主張する書籍がある一方で、国内の書籍では第1法則は慣性系の存在を明言している法則であるとする立場がとられているものが多いということも断わっておきます。
いずれにしても、少なくとも大学入試で、運動の第1法則は何を意味するかというような問が出題されて解釈を求められることは無いと思うので、各自が納得するものを第1法則の解釈にしていればよいと思います。
※1「[プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第Ⅰ編]
アイザック・ニュートン 著 , 中野猿人 訳・注 , 講談社」